< 平成24年3月 >
小泉川沿いの いつものウオーキング途上の小さな小屋の棚に、筍を 2〜3本ずつ、 一山にしたのが 売りに出され始めた。 今のところ、まだ小さい物が、殆どだが、竹藪のオーナーが 「ボチボチ出始めました・・・・・」と 目を細めて説明されたのを、今日は、二山分 買って帰った。 我が家にとっては、”初物”である。 早速、皮を剥いて、大きめの鍋に たっぷりの水と共に入れて、クツクツ・・・・・・クツクツ・・・・・・・・ 一晩さましておいて、次は、だし汁にいれて、再び、クツクツ・・・・クツクツ・・・・・・ 柔らかくて、灰汁の感じられない、美味しい筍が、仕上がっていた。 掘りたての筍の風味と柔らかさが、何より・何より。 少なくなったとはいえ、竹藪の多い地元産の筍が 賞味出来るのは、ここ暫くの間。 大いに 満喫しなければ!! の 思い。
壁面一面に設えられた飾り棚に、師匠作の 格調の高い木目込み人形が、並ぶ。 完成したM夫人の作品 ここまで出来た私の作品 往路で目を引いた ヤナセの運搬車上の プレートナンバー「1」の ベンツ。 今日は、師匠宅での人形制作日。 師匠作の、数多くの、純正・真多呂人形 が、飾られているお座敷に、掘りごたつに足を入れながら、 弟子たちが 純正ではない衣装作り を、楽しんでいる という光景が展開する。 真多呂人形の完成作品は、純正には 純正にしかない しっかりとした趣きや味わいがあり、 純正でない方には、これまた、創意工夫の自由さや、面白みの妙 が感じられるて 創作意欲が 湧くのである。 小さな人形の着物用に適する、人間の着物用の端切れ を見つけて手に入れてくるには、 多少なりとも、無理があり、努力を要することとなる分、 見つけ出した時には、心弾むものが 湧いてくる。 完成作品は、二作とはない、オリジナリティーに富んだ、私だけの出来上がり作品 ということになる。 今 出来つつある 「スツールに座っているお人形」は、二体目であり、 一体目の「スツールに座っているお人形」とは、色違いで、お揃いの着物を着せている次第。 二体のお揃いの人形は、五月に開催予定の、クラフトの教室展の時に、 お揃いクラフト作品を出品するし・・・・・・・・などと、思いを巡らせているのだが。。。。。
長岡京展で、夫の作品が入選となり、バンビオ一番館の特別展示室に展示された。 「流波」と名付けられた壺。 毎年、長岡京市文化協会 の主催で、 【日本画の部】・【洋画の部】・【書の部】・【写真の部】・【工芸の部】があり、 それぞれに、市民の力作が並ぶ。 今回より、展示期間内に 審査員による、個々の展示作品の前での「講評」が、取り入れられた。 たまたま、その場面に、居合わせた私が 夫の作品の前で、審査員お二人による、 丁重な講評を 拝聴させてもらうこととなった。 夫に、伝えねば・・・・・・の巻き である。 一作品ずつ、結構 時間をかけて、実施される講評は、なるほど・なるほど の、思いで 受け止められて、 良きにつけ、悪しきにつけ 参考になり はげみになるのではないか と 思えた。
今日は、捨てずに置いていた 庭の椎茸のホダ木に、 何と、四個の椎茸が、成長しているのを発見!!! 内、一個は、まだ、成長過程で、収穫には早すぎる様相だが、あとの三個は、立派なもので 直径の 大きな部分は、11cm にもなっている。 今まで、全然、気付かなくて、突然、目に入って来た時には、すでに、11cm という有様。 前回、椎茸が出来ているのを 見つけた時も、前々回、見つけた時も、同様で、 見つけた時には、すでに 大きく、一人前になった椎茸 であるところが、何とも、可笑しいかぎり。 まさしく、一度あることは 二度 ・ 二度あることは 三度 なのである。 肉厚で、裏側が、真っ白の、大きな生椎茸は、大きな切り身にして、焼いて、食膳に。 柔らかくて、美味しくて、VERY NICE!! H21年8月に、信州八ヶ岳で、買ったホダ木なのだが、 その年の12月に 突然二個成っているのを見つけ (雑感51に掲載) 23年の10月に、やはり、二個出来ているのを、突然、見つけ、(雑感73に掲載) 24年の3月・(今回)に、四個 を 発見!!!(雑感78に掲載)) という流れ。 「これから、続いて、収穫が出来るのでは・・・・・・・・・」という友人もいて、 決して捨てたりせずに、見守ることに、決定。 結構、水が必要・・・・・・という人もいて、今日は、水やり を した。・・・・・(^・^)・・・・・ はてさて、この後の成り様は如何に???
「梅一輪 いちりんほどの 温かさ 」 で、庭の梅が、本当に、たった 一輪だけ、咲いている時に、 写真を撮りたい と 思っていたのだが、うっかりしている間に、急速に 何輪もの蕾が 開花して しまった。 そう言えば、何日間か暖かかったものなぁ・・・・という感じ。 今年も、上品で 健気な花が、愛らしく 咲いて、我が家の庭は、春に近くなった。 横に、万両の実が、赤色も、白色も、育っている。葉の下に実が成っている分、小鳥に狙われ難くて 食べられずに健在。 ( 南天の実などは、とうに、食べられてしまったのだが。) さらに その横で、何年も前から咲き続ける沈丁花の蕾が、大分 膨らんで、良い感じ。 この時期、他の 大きな木などに 葉がない分、小さな実や花が 目に入ってくる。 存在感を示されているようで、愛らしいかぎり。
いけばな池坊550年祭 「池坊展」・・・・ いけばなの夜明け Ikenobo − On the rise ・・・・ 姪っ子の出瓶作品。ステンドグラス製の花器は 姪っ子のママの作品。 <真正面から> <前・上方から> <横・斜め上から> 「550年祭」とは、何と言っても、スゴイ。 現在、確認出来る最古の記録として、1462年・『碧山日録』なる、禅僧による日記が存在。 その時 すでに、「池坊専慶」が、花の名手として評判 との、記述があるそうだ。 以来、家元四十五世の池坊専永、次期家元の池坊由紀 までと、脈々と、継承された「池坊生け花」の 「歴史」と「いま」を紹介。 ・ ・ ということで、450点に及ぶ作品を、出瓶展示 という、スケール。 日曜日ということとも相まって、すごい盛況ぶり。大作の前には、常に 入れ替わり 立ち替わりの 人で 写真を撮っても、作品の全貌が写りきらず 人の姿が 邪魔になって・・・・・という具合。 池坊人口の多さや、人気や、魅力や 価値 は、計り知れないものが ある と、実感。 一時期には、私自身も、”池坊道”を、かじっていたこともあり、やっぱり、その分だけでも、 愛着があるし、姪っ子が、結構な年数、情熱を傾け、資格をもらい、精進を続けていて、 彼女の家に行っても、 その折々の作品を 間近で 観賞してもいるので、どの流派よりも 一番、身近に 親近感を抱いている存在の【 池坊 】なのである。
♪ 灯りをつけましょ ボンボリに ♪ ♪・・・ BGM付きで、妹宅での、ひな祭りパーティー。 その気にならないと、なかなか、七段飾りのお雛様を飾りつけるのは 大変なものがある と思う。 て゜も、こうして、目の前にしている分には、「やっぱり、いいものやねぇ!」 という、 しみじみとした実感に 満たされる。 女であることや、女の子が居る ということに、かけがえのない素晴らしさを 心底 感じるのである。
昨年の12月30日に、お正月用の活け花に使うために "大王松"や "カサブランカ"や "千両"etc と一緒に、気に入りの、"シンピジューム"の切り花を、一本買った。 その、一本のシンピジュームの花が、色も形も美しいまま、実に、三月に突入した今日も、 まだ、可憐にも、咲き続けているのである。 と言っても、一番、先の方に咲いていた三輪だけ なのであるが。 "松"は別として、最後の蕾まで、必ず 咲く"カサブランカ"も含め、ちょっとずつ、姿を消していった 花たちの中で いまだに咲き残っている三輪の花 なのである。、 下の方から枯れた花を 順番に切りとっていった とは言うものの、色も、形も、健気に咲き続けて いる花を、大事に、ずつと、見守ってきた。とうとう、最後の三輪になってしまって、花器も、うんと 可愛らしいサイズのものになった。 最後まで、よく咲いてくれました という思いをこめて、今日は、パチリ の 巻。 |